2009年11月 1日 (日)

名松線 一部廃止か?

 10月8日、東海地方は台風18号の直撃を受け、各地で大きな被害ができました。

 その中で、JR東海・名松線も土砂崩れなどの被害を受け、一時全線、普通になりました。その後、松阪~家城は復旧しましたが、家城~伊勢奥津は不通のままです。そして、10月29日、JR東海は、名松線の不通区間を廃止する方針であることを発表しました。

 名松線は、かつて廃止対象線区に選ばれていましたが、だいたい道路未整備を理由に、今日まで存続しています。もともと利用者が少ない上に、復旧となると、会社として大きな経済的損失となるのは、明らかです。

 わたしは15年ほど前に、全線乗ったことがあります。平日、昼間に乗ったら、全線通して乗客は多くありませんでした。ただ、帰りの松阪へ向かう列車に家城から学生が大勢乗ってきたのを覚えています。なので、家城~伊勢奥津を廃止しても、それほど困らないのではと思います。

 しかし、鉄道ファンとしては、一部区間でも廃止されるのはさびしい限り。これまでにも災害のため、いくつもの線区が廃止されてきました。何とか存続の道はないでしょうか。

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2007年7月15日 (日)

久しぶりの温泉

 7月の3連休の中日の15日。午前中に台風4号が去り、晴れ間が出てきたので、久しぶりに温泉に出かけました。

 静岡県浜松市浜北区(旧浜北市)の浜北温泉「あらたまの湯」に行きました。今年の4月に開業したばかりだそうで、とてもきれいでした。駐車場に隣接して、売店兼足湯兼温泉スタンドの建物があります。
 浴室は、天井が高く、広々した感じです。「森林の湯」と「石庭の湯」があり、男湯と女湯が週替わりだそうです。この日は、男湯が「森林の湯」でした。
 肝心のお湯は、静岡県には珍しく、ナトリウム-炭素水素塩泉で、超ぬるぬるのお湯でした。岐阜県の池田温泉と同じような感覚でした。湯温はほとんどの浴槽が約40℃に設定してあって、わたしとしてはちょうどいい湯加減でした。

 風呂上がりに、携帯でこの近くに未踏の温泉がないか検索したところ、浜松市南区の天然温泉使用のスーパー銭湯「極楽湯 佐鳴台店」を見つけした。
 場所はJR高塚駅から2㎞ほど浜松駅よりの新幹線と東海道本線にはさまれた住宅地にありました。休日の昼間だったので、けっこうな人の入りでした。
 お湯は、特に温泉らしさはなかったのですが、何となく温泉ぽい感じはしました。

 ここしばらく忙しい日が続いていましたが、仕事が一段落し、久しぶりに温泉に入ることができました

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2006年10月15日 (日)

赤沢森林鉄道乗車体験記

 ぐずついた天気から一転、好天に恵まれた10月の3連休の最終日、10月9日に長野県上松町の赤沢自然休養林へ行ってきました。

 赤沢自然休養林は、豊臣秀吉、徳川家康の時代から厳重に管理され、明治に入ると、「御料林」と呼ばれる皇室の財産として管理されてきました。現在は国有林だそうですが、ひのきを始め、立派な木々が今も守られ続けています。
 主目的は観光用に復活した赤沢森林鉄道に乗ること。赤沢森林鉄道は、かつて小川森林鉄道の名で、御料林からの木材を中央本線の上松駅まで運び出すために大活躍していました。小川森林鉄道は昭和50年に役目を終えましたが、その一部区間(赤沢~丸山度)が昭和62年に観光鉄道「赤沢森林鉄道」として復活しました。

 東名高速、東海環状道、中央道、国道19号経由で走ること3時間、ようやく赤沢自然休養林に到着しました。

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 駐車場から階段を上っていくと、赤沢森林鉄道の改札所・乗り場があります。休日は30分おきに列車が運行されています。森林鉄道に乗る前に、森林鉄道記念館をのぞいてみました。かつて森林鉄道が現役だったころの写真を始め、鉄道関連のものが多数展示されています。森林鉄道記念館の右側に車庫があり、いくつかの車両が保存展示されていて、そこでひときわ目立つのが特別展望客車(貴賓車)です。昭和32年に皇太子(現今上天皇)殿下が赤沢神宮備林行幸の際に造られたそうです。いまだにピカピカ光っています。

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 そうこうしている内に、12時発の列車が入線していきました。それほど客は乗っておらず、待っている人の数も少なかったです。列車が到着すると、すぐに機関車は切り離され、側線を使って入れ替えをし、先頭客車に連結されました。ポイントの切り替えは手動でした。
 丸山度へ向かうときは、機関車の後ろ側を前にして進みます。運転士は後ろを向きながら運転をしていました。時速はおよそ8キロ。人が走っても追いつけそうなスピードです。路盤や台車が普段乗っている鉄道と比べると良くないので、レールの継ぎ目を通るたびにガツンガツン震動が伝わってきます。ですが、乗っているうちにそれも心地よくなってきました。

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 赤沢を出発して、およそ10分で終点の丸山度に着くのですが、その手前で分岐する線が見え、その先に不気味に2両の客車が置かれていました。丸山度では、5分ほど停車時間があり、その間に機関車の入れ替えが行われます。帰りは機関車の先頭が前になります。不気味な客車に近づいてみました。木造の客車が2両留め置かれていました。前の客車は脱線しています。先ほど森林鉄道の運転手に話を聞いたところ、この先700mほどレールが続いているそうで、今上天皇が皇太子時代に訪れた線がここだそうです。

 再び赤沢に戻ってきました。駅には先ほどと違い、大勢のお客さんが待っていました。

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2006年9月30日 (土)

YS-11が消える日

 数日前、ラジオで純国産旅客機YS-11が9月30日をもって、日本の民間航路から引退することを聞きました。

 わたしは1度だけ乗ったことがあります。10数年前、那覇から下地島へ向かう便がYS-11でした。ジェット機と比べると頼りない機体で、翼近くの座席だったので、エンジン音がうるさくてたまらなかった印象があります。

 わたしは以前、愛知県豊山町に住んでいました。この町にYS-11を製造していた三菱重工小牧工場があります。その近くにYS-11を開発した日本航空機製造のビルが建っていました。物心ついたときにはすでに廃屋になっていて、よく忍び込んで遊んだ記憶があります。現在は、豊山町社会教育センターが建っています。

 民間からは姿を消すYS-11ですが、自衛隊などの機体はまだまだ国内を飛び続けるそうです。

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2006年9月24日 (日)

ピーチライナー廃止直前の旅 

 わたしが生まれた街、小牧市を走る桃花台新交通(通称・ピーチライナー)が9月30日をもって廃止されます。平成生まれの新しい路線でしたが、営業成績が芳しくなくわずか15年で幕を閉じることになりました。
 近いからいつでも乗れると思って、これまで乗ることがありませんでしたが、いよいよ廃止になると言うことで、あわてて乗ってきました。

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 9月23日、桃花台東駅始発列車(5時42分発)に乗るべく、夜明け前にわが家を出ました。走ること1時間、5時20分頃、桃花台東駅に着きました。しかし、車を止めておくところがありません。駅周辺をぐるぐる走っている内に時間はなくなり、たどり着いたのは、桃花台センター近くの商業施設の駐車場。ここに車を置いて、桃花台東駅まで走ったものの、間に合いませんでした。

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 2番列車は車両基地から回送されてきました。ピーチライナーは終着駅ではループ線を使って折り返すので、通常は常に一方通行です。回送列車は通常の最後尾を先頭にして入線してきました。会社発行のピーチライナーの資料には、「運転席が前にしかない」と書かれていますが、最後尾にも回送用に運転席がありました。

 桃花台西駅手前で、小牧駅始発列車とすれ違いました。桃花台西駅を出ると、左手側に遠く名古屋の街並みが見えてきます。名古屋駅周辺の高いビルもよく見えました。桃花台東駅を出て、15分、わずかばかりの客を乗せ小牧駅に着きました。

 折り返し列車は中間車両に乗りました。座席は2人がけと1人がけです。車両中央部に乗降口があります。折り返しは車が止めてある近くの桃花台センター駅で下車しました。まだ6時台なので、人はほとんどいませんでした。

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 さらば、桃花台新交通。

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2006年8月16日 (水)

駒ヶ岳ロープウエイに乗って

 お盆休みのまっただ中の8月15日、駒ヶ岳ロープウエイで千畳敷カールへ行きました。

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 岡崎の自宅を9時30分ごろ出て、東名高速、東海環状道、中央道を経由して、駒ヶ根ICに着いたのが、1時前。麓からは千畳敷がきれいに見えました。山の上で、昼食をとるべく、コンビニで買い物をして、ロープウエイ乗り場行きの駐車場に着いたら、「ロープウエイ2時間待ち」というお知らせ。ここまで来て引き下がるわけに行かず、バスに乗って、ロープウエイ乗り場(しらび平駅)へ向かいました。くねくねと山の中を走ること40分、ロープウエイ乗り場に着きました。そこには、ロープウエイ待ちをしている人であふれていました。バスを降りると、ロープウエイに乗るための整理券をもらいます。乗車予定時刻は、「16時15分」。今の時刻が2時前だから、あと2時間以上もありました。山の上で食べるつもりだったコンビニのおにぎりを食べたり、乗り場周辺を歩いたりして過ごし、最終的にはベンチで座って待つことにしました。3時ごろ、駒ヶ根ICに着いたとき、晴れていた山頂付近は雲で覆われていました。多分、山頂の視界は無いでしょう。諦めて帰る人が出る中、待ち続けていると、3時半ぐらいに青空が出てきました。

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 予定より早い4時ごろ、ロープウエイに乗ることができました。山頂駅までおよそ7分。山頂の天気は良好。涼しくて気持ちがいい。ここでも帰りのロープウエイの整理券をもらいました。乗車予定時刻は「18時」。自動的に山頂で2時間過ごさなくてはなりません。2時間あれば、宝剣山荘の尾根まで行って帰れるだろう。千畳敷カールの中の遊歩道を10分ほど歩くと、登山道へ分岐します。はじめは緩やかなのですが、徐々に角度が急になり、苦しくなってきました。八丁坂と言われるジグザグ道を休み休み登ること30分、汗だくになりながら、乗越浄土と言われる尾根にたどり着きました。千畳敷側は伊那谷から南アルプスまで見渡せましたが、反対側は雲が広がり、あまりよく見えませんでした。ここで10分ほど過ごして、先ほど登ってきた坂をゆっくり下っていきました。

 ロープウエイ乗り場に戻ってきたころ、霧が辺りを覆い始めました。ロープウエイに乗り、バスに乗り換えて、麓の駐車場に着いたころは、辺りは真っ暗になっていました。

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2006年7月22日 (土)

この夏、韓国へ行きます

 わたしは、全日空(ANA)のマイレージを貯めています。しかし、今年度一杯で12013マイルが消えてしまいます。通常なら、最低15000マイルから航空券交換なので、あと3000マイル上乗せしなくてはなりません。ところが、6月の末に全日空のホームページで、「減額マイルキャンペーン」を知りました。今なら、12000マイルで、名古屋-ソウルが交換できるとのこと。

 これを逃す手はありません。7月18日~8月9日、8月21日~8月31日の期間の中で、選ぶことになっていて、わたしは、往路8月5日、復路8月7日に決め、7月16日、インターネットで予約を入れました。復路は空席がありましたが、往路は空席待ち。空席がなければ、この話がなくなるところでしたが、数日後、予約が取れたとのメールが届き、一安心。

 これで、韓国へ行けることになりました。では、何をするか。韓国の鉄道に乗りまくります。
 1995年の3月、初めての韓国旅行では、すっかり韓国の鉄道の魅力にとりつかれてしまいました。在来線の食堂車、旧型客車の普通列車、寝台車が幅を利かせていることなど、日本ではすでになくなってしまったかつての鉄道の風景に出会えたのです。
 今回、韓国を訪れるのにあたり、韓国の鉄道について、いろいろ調べてみました。すると、上記の風景は、食堂車をのぞき、過去の話だということを知りました。もっと早く韓国を再訪していたら、という思いが頭をもたげますが、KTXなど新しい韓国の鉄道の魅力もあります。また、「KRパス」という、外国人向けの乗り放題きっぷがあることを知りました。韓国鉄道公社のホームページを通して、KRパスの引換券(バウチャー)を手に入れることができるそうで、すんなり手続きができました。

 2泊3日の間にどこをどう回ろうか、ただ今思案中です。

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2006年5月14日 (日)

ユカギルマンモスミュージアム

 昨年、愛知県のみならず日本を熱狂させた愛・地球博。そこで人気を博していた、冷凍マンモスが今、豊橋市自然史博物館(のんほいパーク)で展示されています。わたしたちは昨年の愛・地球博では見なかったので、この機会に見ることにしました。

 5月13日、見に行きました。ゴールデンウイーク中は、2時間待ちと言うこともあったそうですが、ゴールデンウイーク直後の週末、雨が降っているので、空いていると判断しました。

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 午後2時半頃、のんほいパークに到着。早速、豊橋市自然史博物館へ。ユカギルマンモスミュージアム(特別企画展示室)に入っても、予想通り苦にならないほどの人の数でした。冷凍マンモスコーナーの手前の部屋にマンモスの牙や歯が展示されてあって、触ることもできました。冷凍マンモスを復元したマンモスの複製が存在感を出していました。


 そして、いよいよ冷凍マンモスとご対面。黒いカーテンで仕切られた一室に入ると10人ぐらいの人がいました。その向こうのガラスの中に冷凍マンモスの頭部が鎮座していました。これが、あの冷凍マンモスか。皮膚や毛がよく残っています。残念ながら鼻は元から無いそうです。万博のように長時間並ぶことなく、しかも思う存分見ることができました。

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 その後、豊橋総合動植物園に新しくできたオーストラリア園を見ましたが、雨なので、屋外に動物は居ませんでした。その代わりと言っては何ですが、CBCテレビ「そらナビ」の中継が来ていて、生中継前の沢朋宏アナを見ることができました。


 豊橋市自然史博物館のユカギルマンモスミュージアムは、6月18日までです。

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2006年3月 4日 (土)

市町村合併のさびしさ

 先日、わが家に宮崎県の延岡市市民課から手紙が届きました。手紙の内容は「合併に伴う本籍の表示変更について」でした。

 ただ今、日本中で市町村合併が続いています。わたしが住んでいる市も先日、隣の町を編入合併しました。わたしは今回の「平成の大合併」のような安易な自治体の合併には反対です。役所職員の減少や市町村域の拡大によるサービスの低下を招くことが何よりの問題で、さらに合併に伴うへんてこりんな自治体名も問題です。

 さて、わたしの元来の本籍地は「宮崎県東臼杵郡北方町」でした。昨年の豪雨で、町役場が水没した町です。わたしがここで生活したことはなく、父の故郷と言うだけです。せいぜい盆や正月に訪れる程度で、もう20年以上足を運んでいません。しかし、わたしのルーツであるので、遠く離れた愛知県で生活しながら、本籍地は変えてきませんでした。
 今回の平成の大合併では、北方町も多分に漏れず、平成18年2月20日に北浦町と共に隣の市の延岡市に編入合併しました。合併してもわたしの本籍地が消えてしまうわけではありませんが、自分の本籍地は「延岡市ではない」という思いがあり、「東臼杵郡」という名称が消えてしまうことにさびしさを感じます。

 本籍地を置いているだけのわたしがさびしさを感じると言うことは、日本中の消えてしまった自治体の住民のさびしさはさらに大きなものでしょう。ましてや、変な名前で生まれ変わった自治体の住民の思いはどのようなものでしょうか。

 今年、自動車の免許の書き換えがあります。わたしの本籍地も新しいものに換わってしまいます。

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2006年2月 5日 (日)

勇壮な火祭り 滝山寺鬼祭り

 2月4日、三河地方に春を呼び、豪快な火祭りで知られる、岡崎市滝山寺の鬼祭りが行われ、見てきました。

 鬼祭りは火祭りの部分が大きく取り上げられがちですが、実際は祭りの一部分でしかありません。午後3時30分の行列から始まり、仏前法要や庭祭りを経て、クライマックスの火祭りに至ります。と書いてみたものの、わたしがみたのは、クライマックスの火祭りの直前の庭祭りからなのですが。

■ まつりの内容とスケジュール  < 例年の場合 >

■主催/滝山寺・鬼まつり保存会

■スケジュール(雨天決行)
① 寺宝展   午後1時より宝物殿にて
② 12人衆登山行列   午後3時30分 仁王門発 (所要時間はおよそ30分)
 将軍の使者として鬼まつりを行う滝山寺学頭(住職)が江戸から到着したことを表すものです。
③ 仏前法要   午後5時より
④ 長刀お札振り  午後6時20分頃
⑤ 鬼塚供養(豆まき)  午後6時30分頃
 鬼塚には昔、身を浄めずに祭りで鬼面をかぶったために、面が取れなくなって悶死した山伏を埋めたという伝説があります。またこの時、山伏が父面・母面をかぶったまま埋められたため、現在、この2面が存在しないとも伝えられます。
⑥ 庭まつり(田遊祭)  午後7時
 田植えなどの農作業の過程を詞と所作で表現し、田植え歌も歌います。
⑦ 火まつり  午後7時45分頃
 運慶作と伝えられる祖父面、祖母面、孫面をかぶった鬼が登場し、大たいまつを持った数十人の人々が乱舞するかのように従います。暗闇の中にたいまつの火がゆらめく様は勇壮で、まつりは最高潮に達します。
⑧ 終了  午後8時                            


岡崎市観光協会のHPより

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 7時過ぎたころ、滝山寺の入り口に到着しました。参道に人はまばら。急な階段を上がり、本堂前に出ると、立錐の余地もないくらいの人であふれていました。祭り全体を見渡せる正面の位置をあきらめ、全体は見えないけど、より本堂に近づける、東側から見ることにしました。本堂までの距離は数メートル。
 本堂の前では、十二人衆と呼ばれる男たちの庭祭りが続いています。五穀豊穣を祈る祭りだそうです。庭祭りが続いていますが、本堂の裏では火祭りの準備が着々と行われ、たいまつを持つ、白のほっかむりをした白装束の男たちの出入りが激しくなってきました。

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 いよいよ激しい鐘の音とともに、火祭りが始まりました。初めに子どもたちがやや小ぶり(1メートル)のたいまつを持って出てきました。小ぶりとは言え、激しく燃えるたいまつに子どもたちはおっかなびっくりでした。子どものたいまつがいなくなると、いよいよ大人たちが大きな(2,3メートル)たいまつを欄干にぶつけながらやってきました。屋根に燃え移りそうなくらいの火の勢い、飛び散る火の粉に見ている人たちもおもわず後ずさりしてしまうほどです。そして、祭りの主役、祖父、祖母、孫の面を着けた鬼が出てきました。孫面の鬼は小学生が務めるそうです。孫の鬼が欄干の擬宝珠の上に立たされるといっせいに歓声が上がりました。いつしか本堂の中も炎であふれていました。これ以上続けたら、本堂が燃えてしまうところで、いっせいに火が消され、祭りが終わりました。

 気が付くと、火の勢いに圧倒されて、ひざが震えていました。

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